ピッツバーグ大学での授賞式
2022年9月29日(木)の18時から、ピッツバーグ大学のAlumni Hallで、Japan Documentary Awardの授賞式がありました。そのために9月26日から渡米し、10月2日に帰国したのですが、その時の様子を、記憶を辿りながら記載しようと思います。
9月26日(月)に、成田からトロント経由でピッツバーグ空港に10pmくらいに到着しました。夜に着いたため、大学側で出迎えのボランティアの方がいて下さって有難かったです。大学内のホテルに移動すると、受付担当にちゃんと連絡が入っていない様子で、部屋を変えてもらう必要が出てきたり、とても頼りなく、アメリカのホテルのベットは通常よりも10cmは高いので、移乗するのも一苦労の、不安な一夜から始まりました。
翌日の9月27日(火)のお昼に、カーステンと言う女性スタッフがお迎えに来てくれ、近所にあるカフェ、The Porchまで送っていただき、ジャパン・ドキュメンタリー・フィルム・アワード主宰のチャールズ・エクスリー教授をご紹介頂きました。人柄の良さが溢れ出る方だと直感的に思いました。また、日本語が驚くほど堪能で、大概のことは日本語でも分かって下さいます。私自身は20年前まで4年間、留学していたので、久しぶりに英会話で、やはり時間が経つと語学は不安になりますが、ちゃんと通じていて安心しました。ピザとサラダを頼んだのですが、どちらもとても美味しかったです。本当はランチの後、映画製作の授業参観をする予定でしたが、何らかの行き違いで時間が変わり、チャールズ教授が大学内のThe Cathedral of Learning(学びの聖堂)内や、隣接する、工学部と芸術学部とが名高いというカーネギー・メロン大学を案内してくれたりしました。アンディー・ウォーホルの出身大学でもあります。あの時何を話したか…他愛もない話でした。ドキュメンタリー映画を通して、日本の新たな側面を知りたいと思われ、想田和弘監督に相談した話をお聞きしたり、私は共通の知り合いである、日本のドキュメンタリー映画研究で著名なマーク・ノーネス教授からこのSCREENSHOT:Asia Film Festival Japan Documentary Film Awardの映画祭のことを知ったのですが、この映画祭と直接関わりはないようですが、研究者同士の交流の中でこの映画祭を知ったマーク教授が、気を利かせて私の関わっているドキュメンタリー映画製作者の多いNPO法人にお知らせして頂いたようでした。チャールズ教授もマーク教授のように山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加したい夢があるそうですが、なかなか実現が難しい、とおっしゃっていました。また、この映画祭を継続するためにどうすればいいと思う?と訊かれたので、「私の作品はLGBTQでもウーマンリブでも戦争や災害でもないので、映画祭で受賞することは難しいと思っていた。それを、他の映画祭で評価されてるからとかではなく、自分たち独自の視点で私の作品を選んでくれたことに、本当に感謝している。」と言うと、目を輝かせて「私は駆け出しの日本のドキュメンタリー作家たちのサポートがしたい」と、自分の動機を再確認し、クリアになったように映りました。一瞬、お天気雨が降り、しばらく話した後外に出ると、美しい虹がダブルでかかっていました。チャールズ教授の温かさと虹の美しさがマッチして、良い写真が撮れました。その後は一旦ホテルに戻り、その後はレストランで、現地在住の、映画の選定にも関わった日本人研究者夫婦も同席し、お食事をご馳走になりました。移動は、車椅子のまま乗れるタクシーを手配下さいました。私のこれまで知っていた米国とは違う世界が広がっている…そんな美しさが印象的な初日でした。
9月27日(水)は、私のピッツバーグ観光のために与えてくれた日でした。ピッツバーグ出身で日本でも有名なアンディ・ウォーホール美術館に、大学時代から20数年ぶりに行きました。私は後期のシルクスクリーンより初期のドローイングが好きですが、作品がどうとかより、空間作りの圧倒的なセンスの良さを感じました。また、目が見えないビジターのために、シルクスクリーンの形を手で触れるようにした展示が面白かったです。ランチを、スクール・トリップで来た地元の小学生で溢れる美術館のカフェで済ませ、マットレス・ファクトリーに移動しました。
マットレス・ファクトリーは1977年に設立された、マットレス工場の建物をそのまま現代美術館にしたもので、これまで750人以上のアーティストの作品を展示してきたそうです(多くの作品はレジデンスプログラムで生み出されたみたい)。インスタレーションやビデオパフォーマンスも多く、雰囲気は横浜の、かつてあったBankArt Studio NYKのようでした。ロシアのウクライナ侵攻に関わる展示が多かったです。また、草間彌生の鏡張りの展示は常設展示のようです。とても雰囲気の良い住宅街にあり、カフェに入ってみたり、公園の大木に設置されたブランコで遊んだりして、日本と似て湿気を帯びている空気も心地よい午後を過ごしました。カフェのお兄さんと話しましたが、NYやカリフォルニアなど、若者が何かを始めるには経費がかかる地域を嫌がり、ピッツバーグを選んでお店を始める若い世代が増えていて、新たなコミュニティを作っているそうです。ペンシルバニア州にあるピッツバーグは、かつては鉄鋼業で有名でしたが、その後衰退し、今は医療やロボット工学で有名で、全米で住み良い町の上位に入るとのこと。私も、アメリカで住むならピッツバーグかも、と、どんどんピッツバーグが好きになってきました。
その後は一旦ホテルに戻り、18時からAlumini HallでのSCREENSHOT:Asia映画祭のオープニングでした。この時の夕食も、眺めが素敵なレストランでご馳走になりました。この時以降はちゃんと食事する時間がありませんでした。
9月29日(木)3日目のこの日が、とても大事な日、そして最終日でもありました。連日の疲れで遅めに起床し、自分達でランチを済ます予定で、意外に時間がなくなってしまい、近所のスタバに行って適当に済ませました。ここにはピッツバーグ大学の学生がほとんどでしたが、本当に知的で清潔な印象でした。テーブル席ではPCで作業中の学生たちばかりで、席の確保が難しかったのですが、友達のために席を確保していた女の子が私が車椅子なのを見て、姉に「まだ友達来てないから使って」と椅子を勧めてくれ、私達は「ごめんね、食べたらすぐ出るから」と言っていたら彼女の向かい側の2席が空いたので、すぐにそっちに移動してお友達の席も確保していました。欧米にいると、みんなが当たり前のように譲ってくれます。どういう風に教えているのか…すごいですね。ホテルに戻り、その後インタビュー撮影が待っているので、着る服や髪型やメイクをどうするやら、チャールズ教授から送られた質問にどう応えるか練習するやらで、時間はあっという間に過ぎていきました。12:30にアテンドを担当してくれたステファンとなんとか会い、またタクシーに乗せてもらい、Pitt Studioへ。ピッツバーグ大学のアメフトの番組に使うスタジオだそうで、そこに私の映画の1シーンの写真に表示を変え、視線の位置を斜め前にと指導され、ステファン教授が用意してくれた11問に答えていきました。初めて使うスタジオなのと、質問を間違えないように緊張しまくっている教授が、素直で愛らしかったです。以下が、当日の朝、チャールズ教授が事前に送ってくれた質問内容です。
① What made you decide to make a film about your personal experience?
② Your voiceover is an important element in the power of this film. Could you talk a little about any challenges you had preparing the voiceover?
③ Could you talk a little bit about an important person in your recovery process, perhaps someone from the film?
④ What did you learn about yourself in the process of making the film?
⑤ In an earlier conversation, you mentioned to me that the Dokuritsu Eiga Nabe (独立映画鍋) was helpful in that it taught you valuable lessons about filmmaking. What about that group was especially useful?
⑥ You have just completed maelstrom, so it’s a little early to ask perhaps, but do you have any thoughts about your next project?
⑦ At the University of Pittsburgh, we have a growing number of students who are interested in making films, including nonfiction films. Do you have any advice for aspiring documentary filmmakers?
⑧ What would you like people to know about living with a disability?
⑨ What can we do to break down the divide created by terms like abled and disabled?
⑩ What is the maelstrom of the title? How did you choose it?
⑪ What has been your favorite part of visiting Pittsburgh?
その後は一旦解散となり、最終日なため自分用にPittの大学グッズの買い物後、授賞式までの数時間、ステファンがピッツバーグ大学そばのカーネギー美術館に連れて行ってくれました。古代から現代アート、デザインまで網羅した、充実した美術館でした。
最後までとても見る時間がなかったので美術館を後にし、ホテルへ向かう道すがら、美術館側の"ゴーストバイク"の設置場所を通りました。実は4〜5年前に、ステファンの同僚の女性が自転車走行中に車にはねられ、残念ながら帰らぬ人になったそうです。事故の警鐘のために、事故の起きた道に白く塗られたバイクと可愛らしい花の植木鉢を設置したそうです。そのような経験があったから、私の映画に共感しやすかったのかも知れません。日本と表現の仕方が大分違いますね。
そして、18時からAlumini HallでJapan Documentary Film Awardの授賞式でした。この大学には、車椅子の人が壇上に上がるためのリフトが舞台袖に普通にあるんです。凄いですよね。チャールズ教授が、私が応募した際に必須だった「なぜこの映画が日本社会を表しているのか」を説明するために、深夜に一人で書いた英作文をそのまま読み上げてくれて、「あ、ちゃんと伝わっている」とまた驚いで、スピーチは日本語でいいと言われ、日本語で話しているうちに感動してしまい、涙が出てきて変な顔になっていました。でも、会場の半数は日本語はわからず何で泣いてるか分からないので、英語ですれば良かったです。チャールズ教授がサクッと日本語にしてました。トロフィーは、私の名前が刻印され、とても重く、美しいものでした。一生の宝物です。受賞理由を審査員の方々が語られている間、会場係のスタッフに促されリフトで降り、集まってくれた人々と共に上映を観ました。自分では展開が分かっているし、1月の上映会でお披露目はしたものの、半分は友人たちでしたし、映画祭に入賞して上映するという経験が初めてで、色々不安でした。ですが、ピッツバーグ大学の人々の反応はとてつもなく素直なもので、日本人の方々も多くいらしたのですが、感情移入してくれ、涙ぐんで下さる方もいました。どこでもそのような反応を頂けると思っていませんが、伝わる人がいるんだという、衝撃的な経験でした。
授賞式&上映会を終え、ホテルまで送って頂き、大変お世話になったチャールズ教授たちともその時が最後です。一緒に写真を撮影してもらいました。とても素晴らしい時間を、素晴らしい人たちと共有出来て良かったです。楽しい時間は終わるのは早く、翌日の飛行機の搭乗時間に間に合うようにパッキングを今夜中にしなければなりません。その後は飛行機会社の選択ミスで遅延に巻き込まれ、帰国が1日遅れてしまいました。そのことは、楽しかった映画祭とは別の話なのでここでは割愛しますが、私は商業主義の世界は苦手なので、このようなアカデミックな人々と過ごせて、とても刺激を受けました。初めての映画祭で、このような経験をさせて頂いたことに、感謝しかありません。駆け出しの若手のドキュメンタリー作家の皆さんが日本社会を表現する作品を制作し、2年後、4年後も、この映画祭に挑戦してくれることを、心から祈念しています。日本の文学や映画などの文化、社会について、真摯に向き合われている方々がが運営されている、素晴らしい映画祭でした。
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