「それぞれのやり方で逃げろ」「それぞれのやり方で自分の人生を救え」
諏訪:僕が山岡さんの映画を観てちょっと思い出した言葉があってね。 ゴダールがインタビューで応えているんですね。丁度『勝手に逃げろ/人生』という映画を撮った時。それは、「それぞれのやり方で逃げろ」っていう。
山岡:なるほど。
諏訪:それは、津波の時も言われましたが、「それぞれのやり方で自分の人生を救え」という、そういう意味が込められてると思うんですね。「なぜ人が映画を作るのか。自分の場合はなぜ映画を作るのか分かるんですけど。僕自身はですね、自分が映画を作る理由を説明することが出来ます。僕が映画を作るのは僕自身の映像を見せるためなんだ。そうすれば、時々は誰かがその前で足を止め、僕に関心を持ってくれると言う訳だ。そしてそれは、その誰かがそこに自分の人生を見るからなんだ。自分ではなく、他の誰かによって提出された自分自身の映像を見るからなんだ。だから足を止める。そして、3秒間ぐらいはそれに目をやってくれるという訳だ。これだけでも、もうすでに儲けもんなんだ」という風に言っていて。自分のために映画を作る。でもこれは、結構簡単なことではない。その場合、やっぱりその強度というか、本当に自分がそれを必要としているっていう事の強度が問われるだろうと思うんですよね。で、多分早川さんが観た時に、山岡さんがこう、自分の感情を吐露していくプロセスがあったんだと思うんだけど、そこからさらに深めていったのは、やっぱりそれが本当に自分の必要な映画になるかどうかっていう。そういうプロセスだったんじゃないかと思うんですね。強度が問われるだろうなと。それを、時間をかけて鍛え上げて行ったんじゃないかな。という風に思いましたね。まぁ、ゴダールは言っていることとやっていることが大分違うんで、あんまり信じちゃいけないんですけど、まぁ、僕は印象に残ったんですね、こういうことを言うんだ、と思って。彼は晩年に自画像を撮りましたけど。
山岡:あ、そうなんですか。
諏訪:彼自身による初めて彼の少年期の写真を自分で使いながらね、自画像を撮りました。でも、山岡さん、これを撮ったら、山岡さん自身が随分変わるんじゃないですか?
山岡:大分ねぇ、一体化したと言うか。本当にチューニングが合ってきましたね。
諏訪:チューニングが合うというのは?
山岡:やっぱり、アート系の作業が全然止まってしまった訳じゃないですか。そこの感覚的なものがチューニングが合って来たと。あの、これと同じタイミングで展示も…。黄金町の高架下Site-Aギャラリーという所で、この映画に出てきた自分の過去の作品から2021年と23年にBankART AIRに参加したんですけど、その時に作った作品も同時進行で展示しています。ちゃんとアーツコミッション・ヨコハマが助成についてくれて、本当にありがたいんですけど、設営のプロの方がやって本当にきれいに出来上がったの、皆さんぜひ見て行って下さい。
諏訪:でも、この映画自体がすでにアートの領域ですよね。
山岡:どちらかと言うと、アーティストの人が短い映像作品を作ったりすることがあると思うんですけど、本当にそっちに近いと思うんですよね。ずっと誰かの主観で最初から最後まで走り抜けるというところとかも。だからそういう風に映画好きというか、アートに興味がある人にもぜひ観て頂きたいなと思って。本当にこれを作ることで、またそれを展示して、こういう人様に見てもらうっていう作業をする中で、やっぱり自分自身が進化して来れたな、みたいな。
諏訪:アートとは何かっていうことを問いかけてるって言うところも、この映画の中にはあるんじゃないかと思いましたね。映像の編集も良かったと思うんですよね。
山岡:大丈夫でしたか?
諏訪:映像の編集も、相当、相当これはやっぱり試行錯誤されているだろうな、というのがやっぱり分かりますよね。それは、違うんですよ。ナレーションと一緒で。そこにどれだけの時間が費やされているのかというのは。どうやってそのショットが選ばれているのかというのはね。簡単ではないな、と思いました。
山岡:特にNY時代の映像っていうのは、自分でポンって行ってサッて撮ってくる訳にもいかないので、そこでたまたま知り合った当時NY在住だった日本人のエディターの若い方がいらっしゃって。彼がもう、私が「ここをこうやって撮って来て」というのを全部。
諏訪:あの風景とかですか?
山岡:そうですね。あれがなかったら全然まとまらなかったと思うんですね。凄くラッキーなことに、本当にそういう時に必要な人が助けてくれた…そういう人たちの力が結集して。だからあたかも事故前の映像はあったかのようですけども、実際は写真とか絵しか残ってなくて。これを、どういう風にあたかも過去のように映していくか。凄く悩んで…。でも、こうやって諏訪先生もOK というか、大丈夫じゃない?って言ってくれて、ちょっと安心します、本当に…。映像が残ってるのは、映画美学校で映画とかそういうものに意識し始めてからやっと映像を撮っているんで、なかなか、例えば車に乗り込むシーンとかは全部映ってますけど、「あれがいいね」とああいうのばっかりにすれば良かったのかもしれないけど、実際はそんなことは出来ないんで。
諏訪:そういう必要はないと思いますけどね。
山岡:ありがとうございます。
諏訪:そういうものを見せるだけの映画ではないんでね…。