初個展の設営作業(2023/12/1)

 横浜の伊勢佐木町にある、横浜シネマリンでの『Maelstromマエルストロム』の1週間の先行上映については、当初は初夏にやろうとしていました。また、どうしても上映と同じタイミングで、映画に出てくる留学中に制作した作品たちを、ずっと展示したいと考えてました。でも当初考えていた初夏では、横浜シネマリンの徒歩圏で利用出来るアートスペースの空きはなく、上映を12月にずらしてもらったものの、展示に関してはまだ場所は確定せず、日ノ出町の大岡川周辺にある可能性のある場所をウロウロして、黄金町エリアマネジメントセンターで12月の可能性を探るも、結構お金がかかることに気づき、「今助成を申請中で、もし採用されたらお話を進めましょうね。もし採用されたら、ですけどね。。。」と苦笑いして、とぼとぼと帰路についたりしていました。ですから、BankART AIR SPRINGが始まった4月中は、作品制作と並行してアーツコミッション・ヨコハマのアーティスト・フェローへの応募書類の作成に必死でした。めでたくフェローに採用されたことで、今回の個展を実現することが出来たのでした。

 

 個展をするのは初めての試みです。2002年の事故からアート作品の制作から離れてしまいましたし、アートの分野で繋がれるコミュニティも、私にはアクセシビリティの問題もありますし、なかなか見つけられませんでした。映像編集を学んでから何年もずっとドキュメンタリー映画『Maelstromマエルストロム』の制作に時間を費やしてきたので、NY時代に撮影していた写真を現像し、額装を施したりするというような時間は、本当に至福の時間でした。それらの写真や、その他の大学時代の作品に加え、BankART AIRで最近制作したものの量を考えると、黄金町高架下Site-Aギャラリーを埋められるくらいになることに気付いて一安心。ですが、自力で並行を測ってこれだけの量の作品を設営することは不可能でした。BankART AIRスタッフの皆さんや他のアーティストの方々が「山岡さんの作品設営を依頼できる誰かを見つけないと(いつも周囲にいる人間が手伝えるわけではないから)」と、ご忠告を受けていました。ACYの担当者O氏から、プロの設営師の方をご紹介頂けたことで、不可能が可能になりました。事前に展示プランを共有しなければならなかったので、何度かSite-Aギャラリーに通って、どの壁にどの作品を展示するかイメージを固め、大まかなプランを作成しました。

 

 これらの作品を展示したところで、しばらく制作から離れていた駆け出しであることには変わらないです。それでも、展示という行為をすることで、アート作品制作に挑んでいた事故前の自分と繋がり直したかったのでした。事故で脚が不自由になった2002年から、私は沢山のことを諦めてきました。クローゼットに保管してある当時の作品は、永遠に人に見られることもなく全てゴミになる運命でした。もしそうなったとしたら、戻るために何の努力をしなかった自分のせいです。2002年の卒展の日、「この作品は今後どこかで展示出来るのだろうか?」とうっすら考えていて、その1ヶ月後に事故に遭って帰国を余儀なくされ「NYでアートの勉強をしていた?この車椅子の人が?頭大丈夫?」くらいな立場になりました。私の4年間なんて一蹴されて終わりです。脊髄損傷はかなりの大怪我なので、受傷後数年間はその後遺症とどう付き合うか、どう生活設計するかに振り回されました。それから何年も経ち、BankART AIRに参加させて頂けたことで、過去NYに留学していたり、拠点がNYであるという年上の女性のアーティスト達に出会えたことが、大きな救いになりました。当時の苦労を感覚的に分かってくれる人々です。一歩一歩、元の軌道に戻りたくて日々を重ね、やっと迎えた個展でした。

 

 設営のプロの方をご紹介頂き、一緒に作業するのも初めてですが、とにかく本来進むべき方向で一歩踏み出せたことが嬉しくて嬉しくて。映画の宣伝美術を担当されている女性と一緒に展示のポスターやチラシのデザインを進め、ギャラリーの受付をお願い出来る方にお願いしたり、カメラマンのN氏に一連の記録を依頼したり、その間に映画の試写会をしたりと、バタバタと時間は過ぎていきました。シネマリンでの映画の上映は12/2~8の1週間、展示は12/2~12/10の9日間。前日の12/1を設営日にしたのですが、たった1日で完了出来るのか不安でした。朝9時集合で作業を始めました。プロの設営師のKさんはとても穏やかで、几帳面。整理整頓しながらとても効率的に作業を進めて下さいました。大量の写真はKさんが担当してくれることになり、私は2002年の卒展で展示した400体のペーパードールの作品を再び壁に貼りました。BankART AIRに2021年に初めて参加した時、自分のスペースの壁に貼ったのが帰国して初めて展示した時だったので、これで2回目です。大学の時に設置した際も大きな壁でしたが、今回も当時と同様に大きな壁でした。卒展には今は亡き父も来てくれていました。当時、父を描いたエッチングを、黄金町のプリントスタジオで再度刷ってもらったエッチングを壁の隅に置き、あの時の父の写真も側に貼りました。自分なりの現在の精一杯で作った空間でした。無事に19時には完了し、それぞれ帰宅しました。もっと大変だったと思うのにあっけなく完了し、プロの仕事というのは凄いとしみじみ思いました。