ウィーンの日本映画祭JAPANNUALへ part-1

 2023年10月8日、日曜日。爽やかな朝焼けに家を出て、成田に。諸々順調にチェックインや保険加入などを済ませ、23年ぶりにオーストリア航空に乗ってウィーンに向け離陸。13時間座りっぱなしは毎度きついですが、若くて自由だった頃の自分がオーストリア航空で成田からウィーンに向かったことがあり、人々も温かい上に美しい街だなぁと当時も思ったのですが、今回はどう感じるのか不安でした。いつもの様に車椅子の私は空港に到着後、車椅子客の担当が移乗の車椅子を持って来るのを待つので、最後に降ります。そして担当が荷物を取る手伝いをしてくれる際、フランクフルトと同様、布バッグに入ったシャワーチェアが出て来ず。フランクフルトで経験済みなので、担当に別の受け取り場があるはずと促すと、すぐに見つかりました。フランクフルトの担当が荷物の行き先が分からず、迎えに来た映画祭側のアテンドの親子に任せて消えたのは違法だと言って笑っていました。

 順調に出口を出ると、映画祭の近藤さんが待っていて下さいました。彼女は「なぜこんなに出てこないの?」と焦っていたそうで、車椅子は最後に出ることになるとお伝えしておけば良かったと後悔しました。大きめのタクシーのトランクに車椅子、後部座席にトランク2個とシャワーチェアを入れた布バックと近藤さんと家族とが乗り込み、無事、ホテルへ。後部座席の二人が一体どうやって座ったのか、私には謎のままですが。夜になっていましたが、だんだん市街地に入ってきて、本当に久しぶりに見るウィーンは安心感と美しさに溢れていました。これまでも私は、例え車椅子が足になっても、外に出ていくことを諦めたくなくて、これまで欧州で行けそうな街を幾つか訪れて来ましたが、バルセロナでもトリノでもアムステルダムでも、どの街にも得体の知れない怖さを感じました。それは、留学中にいたNYでも多く感じました。そういう怖さは日本の街でもあります。自分にとってウィーンは、例え20年以上経ってもやはり特別な街なんだと感じることが出来ました。

 ホテルに着くと、そこはオペラ座の並びにある高級ホテルでした。ホテルは、決まっていたはずのバリアフリールームが埋まってしまったとのことで、何と、ラッキーにもスイートルームに滞在することになりました。広い!トイレも2ヶ所あり、小さなキッチンまである!こんな場所に滞在するのは初めてなので、広くて嬉しかったです。でも、専用に作られている訳ではないバスルームやトイレを、私が使えるかは心配でした。ホテル内で他に使えそうな場所はなかったため、どうにかして与えられた部屋で対処することに決め、やっと荷物を運んでもらいましたが、また問題に気づきました。主寝室のベッドの高さがかなり高いデザインの上に、家族と同じベッドで寝るのは厳しいと。すると、近藤さんがエキストラベッドを手配してくれました。持ってきてもらうと高さも丁度良く、意外にもキチンとしたスプリングの入ったマットで、リビングの方に設置してもらい、別々の部屋で眠れることになりました。夕食はまだ食べていなかったのですが、日曜日はウィーンでは店はやってないんじゃないかという心配をよそに、近所の深夜1時までやっているソ-セ-ジ屋さんのスタンドに連れて行って下さいました。今回のウィーンの訪問には、映画の上映だけではなく、かつて訪れていた場所に再び訪れるという目標がありました。シュテファン寺院もその一つでしたが、何と近くだそう。数分歩き、私が来たことのある1999年〜2000年の頃より白さを取り戻したというシュテファン寺院に連れて行ってもらいました。夜でも、その白さは分かりました。あの頃より美しくなっていて記憶が上書きされ、嬉しかったです。ホテルは全て徒歩圏内の凄く便利な立地でした。それは憶測ですが、近藤さんが日本映画祭を始める前からこのホテルで日本人観光客のガイドをしてきた繋がりと信用があり、ウィーン入りした監督たちをこのホテルが迎え入れることになったのではないかと思います。近藤さんは信じられないほどきめ細やかに対応して下さいました。この映画祭でウィーンに来れて、この方達に出会えて、本当に良かったと思いました。

 到着の翌日は、早速舞台挨拶があり、もう一人の主催者のゲオルクさんとどんな話をするか打ち合わせがあります。集中してしっかりやらなくてはなりません。またホテルに送って頂き、シャワーを浴びにバスルームへ。バスルームはシャワーの個室とバスタブがあり、最初はシャワーの個室に、日本から持参したシャワーチェアを置こうとしましたが、安全に移乗出来そうもなかったため諦めて、バスタブの両端に広めにあったスペースに移乗して、滑らないように頑張ってシャワーを浴び(家族と一緒で良かった)、初日が終わりました。

(part-2に続く)